コラム

コロナ禍で思うこと

このコロナ禍、今の状況にどうしても違和感を感じることがあり

ちょっと長いですが、書いてみました。

医療の知識を持ち合わせているわけではないのですが、

農業に携わる者として、危機感をおぼえます。

 

先日、畑を開放して、麦ふみ体験をやりました。

思い立ったのは、こんな経緯からでした。

 

少し前に、ある方のインスタの投稿を見てから

胸に引っかかるものがありました。

事情は詳しくわからないのですが

子どもさんかな

今まで積み上げてきたものを発表する機会、力を出す機会を失ってしまった。

しかもそれが、良かれと思っての検査によって。

 

その後、また別の場面で

ある高校3年生の子が

高2から学校行事がほとんど中止

最後の修学旅行も中止になったって話しているのを聞いて

これ仕方ないねってすませていいのかなと、猛烈に憤りました。

 

それで、いてもたってもいられなくなり、

土日に畑を開放して何かやってみようと思い立ったのでした。

 

大人の2年と

高校生の2年

子どもの2年は

ぜんっぜん違う。

 

保育園や幼稚園の運動会で

1年前と比べて、大きな成長を感じたことのある親御さんってたくさんいらっしゃると思います。

子どもたちの1年ってそのくらい偉大。

 

高校生も中学生もこの2年は返ってきません。

 

うちの子、何か行事が中止になると

「あ、コロナやけんね(仕方ないね)」って言うようになりました。

 

給食もしゃべらずに食べてかれこれ2年。

 

なるべく人と会わない、出かけない、しゃべらない。

今のこの感じが当たり前になってしまうのイヤだ!って思います。

特に子どもたちにそれをさせたくないって思います。

その影響がどんなふうになるのか考えると怖い。

 

現状をもう少し冷静に考えてみませんか?

 

毎日毎日、感染者数ばかり報道されますが、そこだけに注目、反応するのやめましょう。

佐賀県でいうと、過去最高の感染者数って言われてるけど

2022年1月の重症者数はゼロ(佐賀県のデータより)

 

そもそも、コロナじゃなくても、インフルで亡くなる人もいる。

事故や天災、自殺で亡くなる人もいる。

今はなんとか健康な私でも、いつ死ぬかはわかりません。

ミサイル飛んでくるかもだし。

 

クラスターが大きく報道されるけど、

クラスターのない日、ない場所の方が圧倒的に多いですよね。

 

なんでコロナでここまでやる必要あるのかな。

 

薬がないからって言われるけど

小児科で、子どもがRSウィルスと診断されたとき

「原因が細菌だったら、抗生剤出すんだけど、ウィルスには薬ないから、症状を緩和する薬を出しときます。あとはゆっくり休んでね。」

って言われました。

 

だから自分で自分を守る力、自分を治す力、

免疫力や治癒力を育てなきゃと思ってます。

 

野の風は

肥料(有機肥料も含めて)や農薬に頼らない、「自然栽培」というやり方で、作物を育てています。

肥料や農薬を使わないからこそ、

自然の仕組みや理から学ぶことがたくさんあります。

 

身の回りには、目に見えない微生物や菌やウィルスたちがたくさんいて、

虫もそうだけど、どれかひとつの虫、菌やウィルスだけが生き残るってあり得なくて

一時的に、数が増えたり減ったりはするけど、常にバランスをとろうとする。

 

だからアルコール消毒も疑問。

完全に菌やウィルスを除去して、人間だけが生き残るっていうのもあり得ない。

 

それから自然栽培を学ぶ中で

河名秀郎さんという方に教えてもらった考え方。

 

自分に起こることの原因を、外じゃなく、自分の中に探す、この前提を持つとラクになれるよ、ということ。

 

介護施設にお勤めの知り合いの方は、

身近に感染の可能性増えてきて、いつ自分も感染する可能性があるかわからないから、

家でもマスクを二重にして、なるべく家族と接触しないように

まだ小さい子どもさんとも別に寝られてるって聞きました。

 

周りに迷惑かけられないっていう気持ちが痛いほど伝わってきて、苦しくなりました。

 

もし感染しても「うつされた」じゃなくて「最近、疲れてたからなぁ」とか

自分に原因を探すように、ひとりひとりがなれば、

こんなに自粛しなくても、ピリピリしなくてもよくないですか。

 

実際、鍵と鍵穴みたいに、

人の細胞と、ウィルスの形がピタリと合うと、

細胞がウィルスを引き込むんだそうです。

 

ウィルスが寄ってくるんじゃなく、人がウィルスを引き込むらしい。

風邪は「もらう」って言わずに「ひく」って言うのはそういうことだそうです。

どれだけウィルスに触れてても、鍵穴が合わないと、引き込まないそうです。

インフルが流行っても、感染しない人もいますもんね。

 

周りの人の命の責任とれって言われたら、何もできない、動けなくなるにきまってます。

 

よく考えたらおかしいですよね。

 

自分の命の責任は自分しかとれないから、

誰のせいとか、うつるとか、もらうとか、やめたら

ラクに自由にもっと居心地のいい世の中になるんじゃないでしょうか。

 

まず、うつされたとかいうのやめていきましょう。

 

より暖かい世の中になっていくことを願います。

 

長文読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

2022-02-10 | Posted in コラムNo Comments » 

 

こだわりの1本植え。

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田植え直後。

どちらも同じ日に植えたものです。

普通は、右の田んぼみたいに植えます。

できるだけ1か所にたくさんの苗を、そして草が生えるだけだからできるだけすみずみまで苗を植える。

同じ面積でもたくさん収穫できるのは、右の田んぼ。

野の風の田んぼは、左の田んぼ。

父さんがかれこれ何十年も、「1本植え」で植えています。

1か所に植える苗をできるだけ1本に、そして苗と苗の間隔も広くとっています。

間隔も広いから、その分、草が生えるスペースも増える。

草も生えるし、収穫も少ないのに、なぜ「1本植え」をするのか。

稲1本1本のチカラを引き出し、のびのびと育てたいからです。

稲1本あたりの収穫量で比較するなら、左の田んぼの稲の方が多い。

本来、お米は1粒から3000粒以上も実らせるチカラを持っているのだから、それを存分に発揮してもらいたい。

野の風を始めて、農薬や化学肥料を使わずに、米づくりをするようになって5年。

正直、草の勢いに稲がおされ、稲のチカラを引き出せている、とは言えないのが現実です。

稲がのびのびと、喜んで育ってるな、と感じ取れるようになるには、まだまだ私に経験や修行が必要です。

父さんは「1本植えで育つ稲の姿は、美しい」と言います。

そんな稲の姿を、この目で見たいな。

 

 

2015-07-12 | Posted in コラムNo Comments »